Prehistoric Site in Gogang-dong

古康洞先史遺跡地

古康洞先史遺跡地は、1995年夏に古康洞チャンゲッ村の裏山(青龍山)で半月形石刀、 石槍などが住民によって発見されることにより世に知れるようになった。既に都市化が進められた富川に 大規模な青銅器時代の集落遺跡地が残されているとは誰も予測していなかった。

以後、本格的な発掘作業が行われ、12基に及ぶ青銅器時代の長方形住居地(竪穴住居跡)と 三国時代のものと推定される6基の石槨墓も発掘された。

古康洞先史遺跡地からは、無文土器、壷型土器、鉢形土器などの土器、磨製石剣、 磨製石槍、磨製石鏃、半月形石刀、紡錘車、手斧、石棒などの石器、その他の玉製装身具、 土製漁網錘など約1百10点の遺物が出土された。

2005年まで第7次発掘調査が行われた古康洞先史遺跡は、漢江沿いの先史文化と 古代社会の研究における重要な資料であり、青銅器時代の暮らしの様子を復元するという 考古学会の大きな宿題を解決する重要な役割を果たしてくれる遺跡である。

 

Prehistoric Site in Yeowol-dong

Prehistoric Site in Yeowol-dong

如月洞先史遺跡

所在地 : 富川市梧亭区如月洞山59(如月公園内)

富川・如月宅地開発事業に先立って行われた文化財発掘調査により確認された住居跡である。 海抜約40mの低い丘陵の頂上に1基が位置している。 発掘調査は2007年10月(財)高麗文化財研究院により実施された。 住居跡が位置する場所は自然のまま残された地形であったため損傷されておらず、調査が完了してからは土を覆い、現在の位置に遺構の原型が保たれた。

住居跡の平面は長方形で、長軸方向は南北であり、規模は長軸14.9m、短軸6.2m、最大深さは約25㎝である。 内部施設としては竈跡5か所があり、貯蔵穴・柱穴は北側の壁に沿う形で壁溝などが見つかっている。 竈は単純な円形の形で使われたと思われ、柱穴は壁側の中央部に多数見つかっているが、整然とした配置ではない。